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名古屋地方裁判所豊橋支部 昭和42年(わ)86号 判決 1968年4月27日

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実の要旨は

「被告人は、昭和四二年一月二九日施行の衆議院議員総選挙に際し、愛知県第五区から立候補した福井勇の選挙運動者である三浦享助から、右候補者のための選挙運動を依頼されその報酬として供与されるものであることを知りながら、同年一月一一日頃、豊橋市松葉町三丁目七七番地吾妻家旅館で右三浦から、現金五万円の供与を受けたものである。」

というにある。そうして右供与の時刻及び場所は、当日昼頃、右吾妻家で行なわれた桑原知事候補をかこむ東三河地区選出愛知県議会議員の昼食会の席またはその付近を指すことは、本件審理の経過を通じて明らかなところである。

右公訴事実につき、被告人は、第二回公判期日(昭和四二年七月一〇日)の冒頭手続において「起訴状記載の日時に吾妻家旅館に行つたことはありますが、三浦享助から選挙運動を依頼されたこともその報酬として現金五万円を受取つたこともありません。当日昼食会があるというので時間におくれて吾妻家旅館に行きました。すでに会合ははじまつており私は宴席に直行したところ三浦享助は私の反対側に座つており話など一切しておりません。」と述べ、吾妻家での右の日における「昼食会」に出席したことのみを自認し、公訴事実を結局否定しているほか、その後の公判廷における供述では、後述のとおり、右昼食会への出席をも否定するにいたつた。

公訴事実に沿う証拠としては、まず当裁判所が取調べた証人三浦享助の供述中、同人が、尾崎辰三郎、竹内八十八と共謀の上、公訴事実掲記の選挙に関し、被告人を含む自民党東三河県議団の構成員に一人五万円の割で合計五〇万円の現金を供与することとし、昭和四二年一月一〇日頃、福井候補の実質上の出納責任者尾崎辰三郎から右現金を受領したが、投票日頃にはその金員のうち五万円だけ残つており、またその後被告人から仮領収書ないし預り書といつた署名入り文書を徴したとする部分がある。

右証言において、三浦証人は具体的な授受の相手方、態様、趣旨等について証言を拒絶したが、これらの点にも触れる証拠として、さらに同証人に対する裁判官の証人尋問調書(昭和四二年四月六日付)、及び同人の検察官に対する供述調書(昭和四二年三月一八日付)に、それぞれ公訴事実記載の日の昼頃、吾妻家における昼食会の際、その控の間で、被告人に対し、公訴事実に沿う趣旨で、現金五万円の供与をなし、後日仮領収書に被告人のサインを得た旨の供述記載が存する。

そうして、竹内八十八(昭和四二年三月三〇日付)、宮道精一(同月二四日付)、浅野太一(同月二八日付)の検察官に対する各供述調書及び被告人山本一二に対する当庁昭和四二年(わ)第八五号公職選挙法違反被告事件第四回公判調書中証人後藤軍治供述部分には、いずれも被告人が一月一一日の吾妻家の昼食会に出席していた旨の供述記載が見られる。

また、被告人の検察官に対する昭和四二年三月三〇日付供述調書には、金員の授受及び預り書サインを自認する供述記載があり、同じく同年三月二六日付及び四月四日付供述調書には、一月一一日正午頃、吾妻家の昼食会に出席した旨の供述記載がある。

以上によつて、一応形式的には公訴事実についての証明があるかの観を呈する。

これに対し、当公判廷で取調べた被告人の検察官に対する供述調書八通中、右の三通以外の分は、いずれも右の点に触れないか、公訴事実を否定するものであるほか、被告人は、第六回公判(昭和四三年一月二五日)以後最終陳述に至る間を通じておおむねつぎのように弁解する。すなわち、

一、自分は、本件捜査のための最初の任意出頭以来、本件第一回公判まで、事件関係人との面接をことさらに避けていたため、自分自身、事情が十分明らかでなかつたが、第一回公判以後、公判の経過、関係者への質問等を通じて、当初の自分の記憶には錯覚のあつたことも判明し、一月一一日の自分の行動もはじめて明確になつた。

二、これによれば、一月一一日、吾妻家において、桑原知事候補をかこむ会食は、昼と夜との二回開かれており、自分は夜の鳳来の間で行なわれた会合には出席したが、三間つゞきの部屋で行なわれた昼食会には出席していないのである。昼は元来、東三土木会館で昼食会がある予定で、県議はこれに出席することになつていなかつた。当日午前の桑原知事候補の選挙事務所開きに遅参し、人垣の外にいた自分は、その予定が吾妻家での県議と知事候補の会食に変更されたことを知らずに帰宅し、午後の所用を果してのち、かねて通知のあつた知事候補をかこむ豊橋付近の市長、商工会議所会頭及び地元県議等の夕食会に出席した。三浦享助もこれに出席してはいたが、自分は同人のそばには行かず、同人と話もしていない。

三、昭和四二年三月三〇日付の検察官に対する供述調書は、たとい無実の罪を負うことになろうとも、一旦釈放を得て県議選に立候補し、自分の選挙区の重要問題である漁業補償の解決までせめて一年なりと県議としての尽力をしたいとの考えからなした虚偽の自白であり、同年三月二六日付及び四月四日付の検察官に対する供述調書に見られる鳳来の間の豊橋市長等を含む宴会への出席の供述は、昼の会合に出たはずだといわれ、昼には行つていないので、夜の宴会のことを昼のこととして述べたものにほかならない。

四、第二回公判における陳述は、右のような事情がまだよくわからないときになしたもので、そのため昼食会に出席したかのごとき陳述となつているが、自分の出席したのは夜の会合である。もつとも、この夜の会合については、三浦証人の当公判廷における供述のほか、その存在を否定する証言があるが、これは、同日昼夜の会合とも、その費用が桑原知事候補の選挙事務所から支払われており、特に夜の会合についてはその出席者の顔ぶれからしても同候補派の選挙違反として摘発されるおそれがあるため、関係者一同申し合わせの上、口をつぐんでいるものである。

以上である。

そこで被告人の右弁解について考えると、まず昭和四二年一月一一日の被告人の行動について、証人本多元、同成瀬隆之の各供述はこれを符合し、被告人が選挙区の漁業補償問題に尽力したいと考えた点については証人中村卯三郎、同杉浦栗雄の各供述がこれに符合する。これらの証人は、いずれも被告人に身近な人々ではあるけれども、その供述内容に作為の跡も感じられず、偽証を疑うべき理由もうかがわれない。

夜の会合の存在については、証人宮道精一の二回の証言及び押収してある知事日程と題する書面(昭和四三年押第二五号の五)により、これを認めることができ、これを否定する証人三浦享助、同竹内八十八、同原与作、同鈴木光男の各供述はその内容及び供述態度に照らし到底措信できず、特に証人原与作については偽証の疑いが甚だ濃いといわなければならない。

また、被告人が本件第一回公判まで事件関係者との面接を避けていたという点につき、証人宮道精一は第九回公判においてこれを支持する供述をなしている。

被告人の昭和四二年三月二六日付及び四月四日付の検察官に対する各供述調書は、「昼食会」への出席を認めた内容であり正午頃吾妻家へ行つたとか、隣席の者が、今日四時頃知事が俺の方へ来ることになつているといつたとかの記憶もあるけれども、その席が鳳来の間であり、出席者の中に豊橋市長、その他町村長、商工会議所会頭等が挙げられていることにかんがみ、これは、知事候補と県会議員のみで行なわれたと認められる昼食会とは別個の会合を念頭におく供述であると考えざるを得ず、被告人が夜の会合のことをとりちがえて述べたものであるということもあながち不自然ではない。

さらに、被告人の昭和四二年三月三〇日付検察官に対する供述調書は、その内容においてやや具体性を欠き、受供与の場所についても宴会場の隅この方とあるのみであるし、昼夜の別もなく、被告人の上記弁解のあつたことを考慮に入れるときは、金員授受自体についての証明力が乏しい。(預り書については事情を異にするけれども、その点については後に触れる。)

右のように見てくれば、被告人の当公判廷における供述は、単なる弁解のための弁解とは考えられず、被告人が本件昼食会に出席していない可能性はかなり高く、前掲諸証拠が、この弁解をもくつがえして、公訴事実につき合理的疑を超える確信を抱かせるに足りる証明力を有するかどうかを検討しなければならない。

しかるに竹内八十八、宮道精一、浅野太一の検察官に対する前掲各供述調書、及び前掲公判調書中証人後藤軍治供述部分はいずれも概括的記載であり、ことに竹内調書、宮道調書にはいずれも会場として鳳来の間ないし大広間が掲げられていて、被告人に関するかぎり、夜の集会との混同を疑わしめるほか、右の者らが公判廷で証人として供述した際に、被告人の昼食会への出席について消極的な供述のみをしたことは、被告人の面前では、その不利になることを供述したがらない心理もさることながら、特に被告人の出席について思いめぐらすことにより、慎重な供述がなされ、正確性も増大するとの見方もありうるので、これら書証の記載の証明力は、それほど大なるものとは言い難い。

残るところは、三浦享助の前掲証言及び各調書(以下三浦供述と総称する)である。同人に対する証人尋問の結果、当裁判所は、同人の供述は、その大筋において正確であり、ことさらな虚偽、作為は三浦供述には殆んど存しないものとの印象を受けている。しかし、同人が誠実に供述するところであつても、記憶の誤り等による真実からの離反のあることもまた認められる。その顕著な例は、佐宗史量及び後藤軍治に対する各供与の日時場所についての右両名の自供と三浦供述とのくい違いである。九名の者に供与した三浦と、自ら金員を一回受領した者とでは一般的にいつて後者の記憶が信頼できるから、これは三浦の誤りと考えることができ、されば、三浦享助に対する裁判官の証人尋問調書においても、受供与者がそういえばそうかも知れんなどとの供述が付加されているのである。換言すれば、三浦供述において供与の事実が述べられているとき、供与のあつたことは十分信用できるけれども、その日時場所については、誤りなきを保し難いと考えなければならない。

してみれば、前示のとおり、被告人が本件昼食会に出席していない可能性が、かなり高度に認められる本件において、昼食会の際に、控の間で金員授受があつたとする三浦供述は、その文言通りの証明力を十分に有するものとはなし難いといわなければならない。

もちろん、三浦供述の全般的な信用性は前記のとおり高いから、供与の事実そのものの存在は可能性があり、三浦も出席した夜の会合での授受も考えられ、また同僚県議として、三浦と被告人との間には随時接触もありうることであるから、三浦と二人さしで会つたことはないとの被告人の弁解もさることながら、前記昼食会以外のなんらかの機会に授受のあつたことも考えられないではない。ことに、預り証ないし仮領収書の作成に関する三浦供述は、信用するに足り、被告人の検察官に対する昭和四二年三月三〇日付供述調書にも照らし、被告人が右のような文書に署名した事実を推認することが可能であり、これまた三浦と被告人との間の金員授与の裏付けとなるといえよう。

しかしながら、以上はすべて嫌疑であるにとどまり、その日時場所を特定するに足りる証拠がない。もちろん犯罪事実の認定にあたつて、特にその日時場所については、ある程度の幅をおくことが許されようけれども、本件においては、金員授受に関する積極的証拠が三浦供述のみであり、これにおいて犯行の日時場所とされているところが採用できず、その結果、犯行の機会としては、たかだか衆議院議員総選挙運動期間中、豊橋市内または名古屋市内という程度以上に特定できないのであつて、これをもつて被告人に対し刑事責任を問うべき事実の認定とすることは許されないと考える。

その他本件審理において取調べた一切の証拠によつても、前記昼食会には参加しなかつたとする被告人の弁解をくつがえして本件公訴事実に照応する事実を認定し、あるいは他に日時場所を特定して三浦、被告人間の金員授受を認定するに足りる資料が存しないのであつて、結局被告事件について犯罪の証明がないものとして刑事訴訟法三三六条により主文のとおり判決する。

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